とみや茶

幻、復活。

富谷茶のんで味は吉岡。
そんな歌が語り継がれるほどの
幻の銘茶「とみや茶」が、ついに現代へ。
さぁ、400年ぶりの新茶です。

江戸時代から富谷は茶の名産地でした。とみや茶の発祥は、仙台藩祖伊達政宗公が京都から苗木を取り寄せ、領内で栽培させたことに始まるとされています。戦国時代は茶人の千利休が豊臣秀吉の側近となり、茶を武器に政治の世界で活躍するなど、当時の茶の重要性が伺えます。政宗公は仙台を開府し、新しい国造りの産業政策の一つとして、茶栽培に力を注いだのでしょう。

奥州街道の宿場町・しんまち地区で生産が盛んだった「とみや茶」は、奥道中歌に「富谷茶のんで味は吉岡・・」と街道宿場歌として詠まれたほどでした。富谷宿の発展と共に、とみや茶も発展していきました。

その後、時代の推移と共に廃れ、昭和30年頃には生産農家がわずか1軒に。旧脇本陣の旅館「氣仙屋」が自家用の製茶もやめたのは昭和40年代。以来、とみや茶は幻の銘茶となってしまいました。

昭和40年代の茶畑

この1杯のために、400年。

富谷市が富谷茶復活プロジェクトを始動させたのは平成29年10月のこと。氣仙屋茶畑の在来種から富谷茶を再生させる事業を始めました。

氣仙屋茶畑の富谷茶から挿し木で増やした苗木は毎年2千本ずつ(*)5年間で1万本を定植していく計画です。

毎年、摘み取りした茶葉はシルバー人材センターで製茶作業をしています。地域の活性化とともに就労機会の創出につなげながら取り組んでおります。

*夢ファームTOMIYAではこのうち毎年千本を定植

知れば知るほど、味わい深いお茶です。

お茶に求められるニーズは品目により様々です。時代の流れによって、ゆっくりお茶を飲むという習慣も減ってきているのではないでしょうか。しかし、夢ファームがお茶に込める思いは変わりません。土壌を見て、天候見て、生育状況を見て、商品として販売できるのか判断するために、膨大な時間を費やし日々お茶と向き合っています。

富谷茶の製茶

摘み取りした茶葉は、茶舗「大竹園」の指導を受け、シルバー人材センターで製茶作業をしています。茶葉の扱い方で味も香りも変わってしまうという繊細な作業です。

❶摘み取り

爪を立ててちぎると茎が赤く酸化してしまうため、折るようにして摘んでいきます。

❷蒸す

摘み取ったらすぐ、蒸し時間を秒単位で測りながら高温で蒸し上げます。何秒で蒸すかは茶葉の微妙な状態を見て判断。熟練の目が必要です。

❸葉ぶるい

蒸した茶葉は、水分を飛ばすように振り落としながら粗熱を取ります。爽やかな茶の香りが漂います。

❹下もみ

粗熱が取れたら軽く揉み始め、もみ癖をつけます。もみ癖とは、葉が丸まってくること。中の水分をもんで押し出しながら乾かしていきます。

❺手もみ

加熱しながら少しずつ力を加えてもんでいきます。柔らかくして水分が出たら加熱して乾かすという工程を繰り返します。加熱し過ぎると葉が砕けてしまうのでとても難しい作業です。

❻出来上がり

茶葉が細く丸まり、完成です。

富谷茶の効能

お茶に含まれるカテキンは抗酸化作用、抗ウイルス作用など、
たくさんの効能が知られています。
身体の維持に必要なビタミンが豊富に含まれている他、
消臭効果、虫歯予防、高血圧の抑制に期待できると注目されています。